【ウマ娘season2】第3話「出会い」あらすじ・感想・競走馬の史実

ウマ娘 プリティーダービー

【ウマ娘season2】公式Twitterより画像引用

【ウマ娘プリティーダービーseason2】の第3話「出会い」のあらすじと感想及び“競走馬の史実”について書いていこうと思います。

前回までの【ウマ娘season2】に関しては、以下の過去記事を参照してください。

第1話【ウマ娘season2】第1話「トウカイテイオー」あらすじ・感想・競走馬の史実

第2話【ウマ娘season2】第2話「譲れないから!」あらすじ・感想・競走馬の史実

登場キャラクターについて

◆トウカイテイオー

【ウマ娘season2】で主役のウマ娘。チーム「スピカ」に所属している。

「皇帝」の異名を持つシンボリルドルフに憧れており、ルドルフと同じ“三冠ウマ娘”を目指していた。
皐月賞と日本ダービーに勝利し、秋に開催される菊花賞に勝てば“三冠ウマ娘”になれる所だったが、日本ダービー後に骨折していることが判明し、年内休養となった。

◆メジロマックイーン

名家・メジロ家の令嬢。トウカイテイオーと同じチーム「スピカ」に所属。

日本ダービー後に骨折していることが判明したトウカイテイオーに対して、サポートの手配をするなどをしてテイオーを支えた。
自身は長距離のレースを得意としている。

◆シンボリルドルフ

絶対的な“強さとカリスマ性”を兼ね備えたウマ娘。チーム「リギル」に所属している。

◆トレーナー

チーム「スピカ」の専属トレーナー。同チームに所属するウマ娘たちのサポートをしている。

第2話「出会い」のあらすじ

12月トウカイテイオーは“無敗のウマ娘”という目標をたて、トレーニングを開始する。

初詣をするチーム「スピカ」のメンバーとトレーナー。

徐々にトレーニングの負荷を強くしていくトウカイテイオーは、それを見守るシンボリルドルフの前で良いパフォーマンスを見せる。

トウカイテイオーは「年度代表ウマ娘」に、メジロマックイーンは「最優秀シニア級ウマ娘」に選出され、新たな『勝負服』を授与される。

新メンバーが加わったチーム「カノープス」は、チーム「スピカ」をライバル視する。

トウカイテイオーは、トレーナーに対し「春の天皇賞に出たい。強いウマ娘と勝負してこそ!」と懇願し、メジロマックイーンは、トウカイテイオーとの勝負を受けることを宣言する。

トレーナーの指示により、トウカイテイオーは大阪杯に、メジロマックイーンは阪神大賞典に出走することになる。

<前半終了>

大阪杯でトウカイテイオーと対戦するイクノディクタスは、チーム「カノープス」のメンバーと共に、作戦会議を行う。

放課後、トウカイテイオーとメジロマックイーンは、トレセン学園入学当時のことを振り返る。
入学当初から両者は互いをライバル視していたことを懐かしむ。

雨が降る中の阪神大賞典、出場するウマ娘が少なく、他のウマ娘からのマークが厳しいなかでもメジロマックイーンは圧勝する。

メジロマックイーンの勝利する姿を見て、大阪杯に挑むトウカイテイオーのモチベーションが高まるのだった。

<ED曲終了後>

新たな勝負服で大阪杯に挑むトウカイテイオーが映し出される。

第3話「出会い」の感想

やっぱり【ウマ娘season2】も面白い。

今回の話では、ウマ娘メジロマックイーンがとても輝いていました。

「メジロマックイーンは“厄払い”した方が良い」というトレーナーに対して、プロレス技を掛けるマックイーン。しかし、トレーナーが言うくらい、当時のマックイーンは呪われていましたからね。

1991年、秋の天皇賞に出走したメジロマックイーンは、“GⅠ競争における1着入線後の降着”という日本競馬史上初の事件を起こし、着順は1着でしたが、記録上は18着となったのでした。
その後のジャパンカップでは4着、そして有馬記念ではダイユウサクの2着と勝ちきれないレースが続くことになりました…

“無敗のウマ娘”を目標とするトウカイテイオーと、それを受けて立つメジロマックイーンをどのように描くのか気になっていましたが、いい感じでした!

今期の【ウマ娘season2】では、ゴールドシップ以上に、ツインターボらが所属するチーム「カノープス」が“ギャグ枠”を占領している感じですね。

来週はトウカイテイオーの大阪杯のようです!そしてその次は春の天皇賞!楽しみが止まらない!

トウカイテイオー役のMachicoさんと、メジロマックイーン役の大西沙織さんの「キャストコメント」は以下のとおりです。

競走馬の史実「トウカイテイオー対“メジロ一族”の1992年」

この段落では競走馬トウカイテイオーと、当時の競馬界での出来事を書いていこうと思います。

※今後のアニメ【ウマ娘season2】に関するネタバレ要素が含まれているかもしれません。ここから先を読む際はご注意ください。

1991年の皐月賞・日本ダービーを制したトウカイテイオー。その後は骨折により年内休養となり、秋に開催される菊花賞には出走できず、「三冠馬」になることはできませんでした。

翌年の1992年4月、トウカイテイオーは大阪杯(GⅡ)に出走することになります。その時から主戦騎手は安田隆行騎手から名手・岡部幸雄騎手になりました。

岡部幸雄騎手は、トウカイテイオーの父・シンボリルドルフの主戦騎手で、シンボリルドルフと三冠レースを制し、「三冠ジョッキー」となったのでした。
ルドルフの子・トウカイテイオーに“岡部騎手が騎乗する”というのは浪漫がありますね。

大阪杯に出走したトウカイテイオーは勝利し、“無敗”のまま天皇賞・春に挑むことになります。
その天皇賞・春には、天才・武豊騎手が騎乗するメジロマックイーンが前年王者として参戦してきます。

“名手”岡部幸雄が騎乗するトウカイテイオー、“天才”武豊が騎乗するメジロマックイーンが出場することになった1992年の天皇賞・春は「世紀の対決」と話題になります。

レース結果は、メジロマックイーンが天皇賞・春を連覇、トウカイテイオーは5着と敗れたのでした。トウカイテイオーにとっては、これが初黒星となります。

天皇賞・春後、トウカイテイオーは脚部のケガにより春シーズンを終えることになります。また、メジロマックイーンは調教中の骨折により年内休養となりました。

療養後のトウカイテイオーは天皇賞・秋に挑むことになりますが、レッツゴーターキンの7着に敗れ「トウカイテイオーの時代は終わった」と言われるようになりました。

「終わった」と思われていたトウカイテイオーでしたが、次走のジャパンカップで勝利し、岡部騎手にルドルフ以来の“ジャパンカップ2勝目”をプレゼントしたのでした。

その後、トウカイテイオーは年末のグランプリレース・有馬記念に出走することになりますが、岡部騎手が騎乗できず、田原成貴騎手に乗り替わることになります。
そのうえ調整が上手くいかず、メジロパーマーの11着に敗れたのでした。

春の天皇賞ではメジロマックイーンがトウカイテイオーに初黒星をつけ、年末の有馬記念ではメジロパーマーがトウカイテイオーを破ったのでした。

1992年のトウカイテイオーにとっては、メジロ家は“厄介な一族”と感じたかも知れませんね。

その後のトウカイテイオーは、負傷により三度休養に入ったのでした。

【画像引用元:ウマ娘公式Twitter】
https://twitter.com/uma_musu